2015年4月30日木曜日

笑える本



最高に笑える本、テストの珍解答の第9弾がでました。

税込み545円です。

一つ紹介します。



 この絵の名前と作者は?

作品名(    TSUNAMI    )
作者 ( サザンオールスターズ )


大好評の昔の話第三話も載せます。

ひねり餅
 酒屋の酒造りがはじまると、[1]父はよくひねり餅を持って帰ってくれた。夕方、帰ってくる父が戸口を入ると「なに?さかやの親方‥‥」といって四肢を踏んだ。それが面白いので私達も「なに、さかやの親方」といひつつ四肢の真似をすると父は懐からひねり餅を出してくれた。さしわたしが四五寸もある、眞白の、かちかちの餅で、親指でひねりまはした指跡がいっぱいついていた。これを鉄器にかけて焼くと狐色になったが、それに醤油をつけてつけあぶりにすると硬い餅が一層硬くなって、その香ばしさといったら他に比べるものもなかった。
 ひねり餅は酒屋のおやっさん([2]杜氏のことをおやっさんといった)が、酒屋の蒸し米の案配をみるために(カイ)の面で蒸し米をすりつぶしてねばり気をみるときに出来るものだった。地獄の釜のような大きな釜に蒸した米がもうもうと湯化を立てている。素晴らしい沢山の米である。そいつを一寸手にとって櫂の面でぬりかへすのである。蒸しきってあるので手の平ですりつぶすことは普通の人ではとても出来ぬことだが酒蔵の人達は平気で掌ですりつぶしている。
「これ位でよかろうかね」といって、ほやほやの米をさし出すと、おやっさんはそれを指でひねりひねりして平たく大きく拡げていった。「よし、えいぞ」とおやっさんが言ふと蔵の人達はスコップで米をすくって桶の中へ入れ、五人も六人も「よいしょよいしょ」といって蒸したての米を運んでいった。もうもうと立ちこめる湯化の中で蔵の人達は忙しそうに息さききって入れ替り立ち替り運んでいった。寒い雪のふる日でも着物一枚で、白いエプロンをあて、こん気よく働いてをられた。
酒作りの始まるのは正月のすんだ寒い日ごろからであったが、そのころになると質素な着物に新しい下駄をはいて何処から遠くの方からおやっさんが来られた。そうして一冬中暗い暗い蔵の中で口数も少なく酒をつくってゆかれるのである。寒い暗い冬を黙って静かにすごしてゆくおやっさんや蔵子の姿は毎年きまったように始められきまった様に終わるので「あ、また酒造りの頃が来た」と思ひ出されるのであった。僕は一度おやっさん等の入られた桶の風呂へ入った。ただの桶に暑い湯を入れただけの据風呂(すえふろ)であるが広い蔵の横で天井のない風呂に入るのは面白かった。その桶へ入る土間の下駄は青竹を真っ二つに分って鼻緒をつけたもので足の平は丸い竹の背にあるので歩きにくいこと此の上なかったが、しかしそれがまたとなく面白かった。
 寒い晩、おやっさん等は大きな大桶の縁の上に立って櫂をつきつつ唄をうたうことがあった。
                    やれ、酒屋とうじさはのを
                    麥種そだち
                    家で年とるのををことはない
                    ‥‥‥‥
                    やれ、宵にやもとするよ――を
                    夜中にやこしき
                    朝の洗場がの つろござる
広い高い酒蔵の隅々にひびきとほってその唄はあはれふかいものだった。
ひねり餅の押へつけた大きな指紋のあとは、何かおやっさん等の暗い生活を思い出させた。
ねはん(三月十五日)



[1] 糟谷一男のこと。
[2] とうじ/とじ。酒造家で酒を醸造する長。また、酒つくりの職人。

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